君ケ洞幸輝代表取締社長、君ケ洞 剛一専務、君ケ洞 秀綱常務、君ケ洞京子がヤマキイチ商店の泳ぐホタテにかける想い、そしてお客様への感謝の気持ちをお伝えいたします。
第1回は当社 代表取締社長で創業者でもある君ケ洞幸輝のロングインタビューです。
目次
- スタートは運転代行業。そしてワカメ販売へ転身。
- 結果のでない毎日。釜石から日本海側へ代行車で営業の日々。
- 釜石→東京→新潟→秋田。そして花巻での不思議な縁に助けられる。
- いいホタテが市場に流通していない! だったら俺がやる。
- 市場から通販への転換を決めた3つの理由。
- 泳ぐホタテと向き合う日々。市場でも別格扱いのホタテに。
- 泳ぐホタテ通信販売への挑戦。
- 泳ぐホタテのネーミングで勝負
- お客様には三陸の旬を味わって欲しい。
- 震災支援で買ってもらうような商売はするな。
- 大事なことは時代にあわせること、そしていい商品をお届けすること。
- 漁師となれ合いの関係ではなく切磋琢磨することでいい商品が生まれる。
- 全力でのチャレンジは失敗しても大きな力になる。
- 時代は変わってもお客様が美味しい物を食べたいっていう欲求は変わらない。
- 心のこもってない100個よりも心をこめた1個が大切。結局それが1番の近道なんですよ。
- 本当の帆立の美味しさを知って欲しい。
スタートは運転代行業。そしてワカメ販売へ転身。
ヤマキイチ商店は1989年に創業し会社設立は1991年です。
ヤマキイチ商店の設立前は、務めていた会社を辞め、運転代行会社を経営していました。
3人の子ども達もまだ小さく、今の常務がまだ赤ん坊だった頃です。当時は新日鉄全盛時代で釜石の人口も6万人と、とても賑やかな街でした。飲み屋も多くて、新日鉄の社員もたくさんいて、客層もいいだろうということで、当時出始めだった運転代行業を始めました。釜石の運転代行は私の所くらいでした。
代行業の経営は順調で当時は車も10台以上、社員も15人ほどいて、お客さんからの評判もよかったです。代行運賃は他の業者と比べて高かったですが、リピーターが多かったです。それは接客をとても大事にしていて、社員教育にも力をいれていたおかげだと思っています。
運転代行業は順調でしたが、代行業はご存じの通り夜の仕事です。生活サイクルも昼夜逆転でしたし、新日鉄の高炉休止に伴い、釜石での代行業がこれからも順調に続くわけがないと危機感を感じていました。そこで代行業ではなく、新しいビジネスを考えていました。
そこで頭に浮かんだのがワカメの販売でした。
釜石は鉄の街でしたが、本来はワカメやコンブ、新鮮な海産物がとれる海の街です。
生まれ育った海の豊かさや海産物の良さを知っていましたし、市場に流通しているのは塩蔵ワカメが主流です。家族に手伝ってもらえれば加工もなんとかなりそうですし、塩蔵なので保管や品質も安定させることができます。新規参入しやすい商売だと思いました。
結果のでない毎日。釜石から日本海側へ代行車で営業の日々。
代行業をやりながらワカメ販売に乗り出しました。
最初は釜石周辺でワカメを売っていましたが、岩手県沿岸はワカメが特産品です。スーパーやお土産屋には競合他社のワカメがすでに入っています。新参者の商品を取り扱ってくれるような店はありませんでした。そこで目を付けたのが日本海側でした。秋田や山形などの日本海側であれば、販路があるのではないかという読みでした。
運転代行の車にワカメを満載して、代行の仕事が終わった後に日本海側まで販路開拓のために週に何度も足を運びました。夜は代行、昼はワカメ販売と寝る暇がなかったです(笑)。
体力的にもきつかったですが、何より辛かったのはワカメが全く売れなかったことです。
同じ東北だから、ワカメも食べるはずという思い込みで営業にいきましたが、日本海側には日常的にワカメを食べるという文化がなかったんです。日本海側には日本海独自の海藻食文化があり、それで十分。わざわざワカメを好んで食べるような感じではありませんでした。
秋田の大手スーパーの担当者に何度も足を運んだが、全然ダメでした。
ワカメを家庭で使う文化がないのであれば、贈答用としてのワカメを提案しました。包装資材も自分で用意し、箱も綺麗にして、ワカメも小分けにして贈り物としてワカメを使ってもらえるように色々工夫してみましたが、全く売れませんでした。スーパーでは取り扱ってくれたんですが、全く売れなかったので、食文化の壁は厚いと身にしみました。
これではダメだと思いました。このまま日本海側で商売をしても時間の無駄。ワカメでは光が全く見えないと。
釜石→東京→新潟→秋田。そして花巻での不思議な縁に助けられる。
壁にぶちあたっていた頃、秋田からの帰りに盛岡の市場に寄ってみたんです。そこで盛岡から日本各地へ海産物が運ばれる様子を見て、改めて物流の基本を学んだんです。
こういう市場に物が集められて、東京や全国の店頭に並ぶんだと。
そこでトラックにワカメを満載して東京の築地市場に向かいました。しかし門前払いみたいな感じで全然取り扱ってくれなかったです。そのまま釜石に帰るわけにもいきません。トラックには家内や母が夜なべして加工したワカメが売れずに残っているからです。
日本海側のスーパーやお土産屋にワカメを営業してみようと車を走らせました。
しかし、新潟でだめ、山形でだめ、秋田でだめ。ワカメを置いてくれるところなんてなかったです。飛び込み営業みたいなもんでしたから、断られ続けた車中で心が折れそうになりました。
秋田から釜石まで1日あれば着くんですが、何も売れてなかったから、そのまま帰れませんでした。気持ちを整理するために花巻温泉の旅館に泊まってトラックに満載しているワカメをどうしようかと頭を巡らせていました。花巻にも市場があったので翌日は市場に行こうと決めていました。どんな市場なのか興味があったのと、新しい売り手がいるかもしれないと考えていました。
早朝に市場に着いて、トラックの荷台からワカメを降ろしているときに、たまたま隣に駐車していた方から声を掛けられました。その方はスーパーのバイヤーだったんです。
「何積んでんの?」って聞かれて「釜石のワカメです」と。バイヤーさんがワカメを見て、「これはいいワカメだ」って言ってくれて全部買ってくれました。東京まで行って売れなくて日本海側でも売れなくて、たまたま立ち寄った花巻で全部売れて。不思議な縁だなと思いました。
その縁がきっかけでワカメが売れるようになったんですが、それだとどうしようもないとも感じていました。競合が多いですし、先は見えていましたから。新しい何かが必要だと感じていました。
いいホタテが市場に流通していない! だったら俺がやる。
各地の市場巡りをしていて気がついたことがありました。それは市場がホタテで溢れかえっていたことです。北海道産、青森産、岩手産、宮城産とものすごい数のホタテでした。
しかし、全然いいホタテではなかった。
帆立の知識があったわけではなかったけど、子供の頃から新鮮なホタテを食べていた自分はホタテ本来の美味しさを知っていました。
どこの市場でもたくさんの帆立が並んでいるけど活きの良さが全くない。自分が注目したのはまず鮮度。どのホタテも殻が開いたホタテばかりで、「この程度のホタテでよく流通してんな」と思ったんです。
もし活きた状態でホタテを市場に出荷することができたら、商機があるんじゃないかと考えました。活きたホタテはどこの市場にもありませんでしたから。
そこで漁師や組合と話をして、どうすれば活きのいい状態で流通にのせることができるのか話し合いをしました。いろいろ試作をくりかえして1日だけ活きた状態にすることはできた。
浜から積んで、すぐに築地に運ぶと活きた状態で市場に届けることができる。実際に築地に活きた状態でもっていったら、すごい驚かれました。こんないい状態でホタテが届くのかと。見たことないっていわれて、すごく喜ばれました。築地だけじゃなく北関東の市場にも、持っていったら、みんなビックリしていました。いろんなホタテがはいってきてるけど、こんなに鮮度がいい帆立が入ってきたことは今までにないって行く先々でいわれました。帆立は市場にあふれていたけど、うちの帆立はその中でも群を抜いていた。大きさ云々よりも鮮度が良かったので、高くても売れに売れました。うちの帆立は翌日でも鮮度がいい状態だったので市場関係者に喜ばれました。
1日だけでしたが活きた状態の帆立をキープして市場に届けることで、高値で買ってくれて、経営も安定していました。しかし一方で懸念材料もありました。市場がだんだんと元気がなくなってきていたということです。
市場から通販への転換を決めた3つの理由。
原因はわかりませんが、市場に人が来なくなってきてましたね。このままでは、いずれ市場に陰りがくるぞって考えてました。水産物も輸入品が増えたし、消費者側も安ければいいって人も増えてきました。そういう時代の背景もあるんしょうが、徐々に市場向けとして販売する意味や価値っていうのもウエイトが下がってきたと感じていました。何か次の手を打つ必要がありました。そこで考えたのが一般消費者向けの通販事業です。
市場向けの商売から一般消費者向けへの方針転換を決めたきっかけは3つあります。
通販事業のイベント講演に参加したこと、次に宅配、そして1992年(平成4年)に開催された「三陸・海の博覧会」の3つです。
1つめは通販事業のイベント講演に参加したことですが、ワカメが全然売れていない時に東京の池袋サンシャインで開催されていた見本市に出展しました。そこでもワカメは売れなかったんですが(笑)、イベント会場で富士通の方が通販のことについて講演をしていました。これからは通販だと。今後通販事業は劇的に伸びるという話でした。
講演を聴いていた時に茨城県で通販をしている経営者と知り合いました。そこの会社はすでに通販で何億も売上げをあげているという話を聞いて、後日その社長に話を聞きにいきました。その社長はとても懐の広い方で、通販のノウハウを教えてくれました。ちょうど郵便局の「ふるさと小包便」がスタートした頃です。その会社は顧客管理もしっかりしていて、上客を数十人紹介してくれました。今なら個人情報保護法で問題があったと思いますが、当時は通販事業も始まったばかりでしたので。紹介していただいた数十人のお客様向けに、ワカメの通販を始めました。お客様にも大変好評で通販事業の面白さと手応えを感じました。
2つめは宅配です。郵便局をはじめ、ヤマト、佐川、日通が宅配事業の本格展開をスタートさせた頃です。地方からでも2~3日あれば全国に商品を届けることができる流通が整備されてきました。
3つめは1992年(平成4年)に開催された「三陸・海の博覧会」です。釜石会場でイベント参加者向けにホタテの浜焼きを出展していました。浜焼きはとても好評で連日長蛇の列でした。子ども達にも手伝ってもらって、イベント期間中は腕が痛くなるほどでした。
浜焼きを召し上がっていただいたお客様から口々に「この帆立は地方発送してもらえるのですか?」と質問がありました。
泳ぐホタテと向き合う日々。市場でも別格扱いのホタテに。
宅配を使って、全国のお客様にホタテを届けることができればと考えていました。
ワカメの通販で個人向け商売の面白さ、そして通販市場の可能性を感じていましたが、ホタテの通販となると一抹も二抹も不安がありました。それは活きた状態が24時間しかもたないということです。市場の場合は荷受け時間が決まっているので計算することができますが、クール便や時間指定などもなかった時代です。お客さんや宅配会社の都合で受取時間がバラバラ。朝に受け取る人もいれば夜に受け取る人もいますし、東京以西に送るにはどう見積もっても2日以上活かしておく必要があります。
ホタテの取扱いを始めた頃は市場卸で商売は安定していましたが、その状態に満足してたのは1~2年の間だけでした。これからは個人向け通販だと考え始めて、最初は48時間を目標に試行錯誤して、結果的に60時間まで活きた状態で届けることができるようになりました。
テストもかねて最初はまず魚市場向けに出荷しました。市場の人に「活きた状態で60時間キープします」と。市場関係者は驚いてましたね。48時間は確実に活きた状態です。箱が壊れてたっていうクレームはありましたが、ホタテが死んでたっていうクレームは1件もありませんでした。「これは画期的だ」と評価を受けました。
値も高く付き、ヤマキイチ商店のホタテは他とは違うという評価でした。他のホタテは数が多ければ安く、少なければ高くといった値付けでしたが、うちのホタテはそういうのとは関係なく、指し値での取引。市場では別格扱いでしたし、信頼もありました。
これで個人向けでもいけると自信を持ちました。
泳ぐホタテ通信販売への挑戦。
市場向けの商売で安定した売上げがあったにも関わらず、個人向けにシフトするには市場とは違うリスクを考えないといけません。
100%の状態で送ることができないとクレームも出るだろうし、信頼を損なうのは会社として大きなマイナスです。遠方の知り合いにホタテを送ったりして、問題がないか実験を繰り返しました。お客様に確かなホタテを送るために、試行錯誤してましたよ。
こちら側としたら99%の確率で送ることができたとしても、お客様からしたら泳ぐホタテとの出会いは一期一会です。1%のお客さまにちゃんとした商品が届かないなら、個人向け通販はやるべきではないと考えていました。
氷敷きのホタテは「鮮度がいいホタテ」として一般的にギフト用として流通していました。市場関係者も自分のギフト用途として送ってたくらいですから。市場のプロ達も1番鮮度のいいホタテは「氷敷きの鮮ホタテ」という認識でそれでよしとしてたし、それが普通だったんです。鮮ホタテが1番生きがいいみたいな感じでした。当社のように海水が入った状態で活きたまま送るなんて、どこもやっていませんでしたし、市場も世間もそういう発想がなかったんです。技術的にも難しいし、活きたホタテを流通させることの価値に誰も気付いていなかったんです。
個人向け通販の前に、スーパーや生協、デパートで贈答用として取扱いを始めました。徐々に個人向け通販も始めてましたが、通信販売ビジネスへの方針転換を決めた大きなきっかけは三陸博です。当時はホタテ8枚入り送料込みで3,800円で販売していました。お客さんからの反響もすごくて、一般的なホタテの価格より、あきらかに高いホタテですが、発送して欲しいという注文が多かったんです。
その後、テレビにも取り上げられて、多くのお客様から注文をいただきました。
三陸博のお客様、池袋の講演で聞いた今後の通販市場の大きな可能性、そして宅配業の一般化などがピタっとあわさって、頭の中でビジネスとしてやっていけると確信しました。
当時は市場と通販とどっちにウエイトをおこうかと悩んでいましたが、個人向けに本物のホタテを届けることに注力していこうと決めたんです。活きたホタテという鮮度だけではなく、貝柱の大きさや中身、サービスの向上などお客様に信頼してもらうためにいいものを提供していこうと方針転換をしました。
泳ぐホタテのネーミングで勝負
活きたホタテを市場に卸していた頃から「泳ぐホタテ」というネーミングでした。私が考えましたが、マンガみたいなネーミングで大丈夫かなと思ってました(笑)。
市場関係者からは、わかりやすいって評価でしたし、泳ぐホタテにして正解だったと思いました。時代によって活ホタテにした時期もありましたが、今は泳ぐホタテで登録商標も取得しました。泳ぐホタテのブランドを広めていったのは息子達ですが、商売をするなかで、ネーミングは大事だと感じています。
ネーミングだけでなく、商売をするうえで挑戦することはとても大事です。いいアイデアでも時間が経つと迷いがでます。考えが変わらないうちに行動することが大事。
例えば、当社の屋根にはでっかく「泳ぐホタテ」と書いています。色々言われましたが、すぐに書かせました(笑)。国道のところにも「泳ぐホタテ直売所」の看板を建てました。震災後に観光客も少ないのに意味があるのかとか言われたりもしましたが、人が少なくなろうが、なんだろうが直売所もないような店はダメだと思ってましたから。
今は活ホタテとか鮮ホタテって目にするようになりましたが、泳ぐホタテって珍しいのか、看板を見たお客様が「泳ぐホタテみせてください」って訪れてくれます。
お客様には三陸の旬を味わって欲しい。
当社はおかげさまでリピーターのお客様がとても多いです。
イベントやメディア露出により、ヤマキイチ商店を知ってくれたお客様といかにつながるかがとても重要です。いい商品を提供するということが最も大切ですが、お客様との距離を近くするということも重要です。そして三陸の海の幸の美味しさを知っていただくこと。
ホタテやワカメ、イクラにも旬があります。お客様にはその旬を味わってほしいんです。
震災支援で買ってもらうような商売はするな。
今の時代どの業界も利益重視だったり、安い商品がもてはやされたり、産地偽装など食に関わる様々な問題が取り上げられています。そういうことは絶対ダメだと思うんです。
そういったことをしていたら必ず滅びます。
自分達のノウハウで創りだした三陸で採れた1番いい品に自信を持って、そのやり方やいいものを提供するってことだけは変えるなと息子達には言っています。
震災後の2012年の年末のお歳暮は、震災の影響がどう影響するのか正直心配でしたが、沢山のお客様に注文をいただきました。自分達がこれまで20年以上、いい商品を提供するということをぶれずにやってきたことがお客様の届いていたんだ、間違っていなかったんだと感じました。
震災後にお客様から心配や励ましのお手紙や電話をたくさん頂戴しました。本当にありがたかったですし、とても励まされました。震災後はホタテがどうなるか全く見通しがたっていませんでしたし、正直不安でしたので、お客様からの励ましはありがたかったです。
一方で震災支援のお話しもたくさん頂戴しましたが、専務や常務には震災支援を掲げるようなことをするなら、商売を辞めろと言っています。
それよりも、震災前と同じように活きのいいホタテをお客様のもとに送り届ける体制を整備し、守っていかないとなりません。
お客様に「今年もいいものをありがとう」と言われれると、仕事冥利に尽きます。
テレビショッピングや広告代理店からホタテを多く売るための話があったりしますが、数を多くさばくことによって、いい品を提供できなくなるなら、やる意味がありません。それはお客様にとって失礼な商売です。それをしたことにより、味やサービスが落ちて結果的にお客様が離れていった例をたくさん目の当たりにしてきました。
大事なことは時代にあわせること、そしていい商品をお届けすること。
時代は常に動いています。常にアンテナをはって時代の動きを感じることが大事です。
例えば、昔は携帯電話はなかったです。生活も質素で外食や旅行も今ほど多くはなかったです。消費者の行動や金の使い方も昔と今は全然違います。今の時代はギフトにしても色々選択肢がありますし、インターネットで何でも買える時代です。
当社はギフト注文がほとんどですが、日本の文化であるお中元やお歳暮がこれからも同じように続くとは思っていません。年賀状を出す人も減っていますし、若い方が上司にお歳暮を贈るということも昔より少ないはずです。贈り物で日頃の感謝を伝えるっていう日本の文化や、人と人のつながりが薄くなっていることを感じています。
お中元とお歳暮の売上げをいつまでもあてにしてるような商売がずっと続くと思ってたらどこかでつまずきます。
商品やお客様との接し方など時代にあわせて、常に軌道修正をしていくこと、そしていいものをお客さんに提供するってことだけはぶれずにやっていかなくてはなりません。
お客様は正直です。中途半端な商品を出したら、離れていくに決まっています。
漁師となれ合いの関係ではなく切磋琢磨することでいい商品が生まれる。
そのことは漁師も同じです。いいホタテを育ててくれるから、うちは1番高値で買います。それで漁師は潤いますし、やる気も出ます。しかしそこで甘えていますと確実にホタテの品質に影響が出ます。ホタテは正直なんです(笑)
一般的に水産卸会社というのは、生産側と消費者側をつなぐイメージだと思いますが当社の場合、漁師や組合との関係はとても近いです。
ヤマキイチ商店の創業当初から下積みしながら、漁協や漁師とお互いに意見をぶつけてきました。
当社と漁師は対等な関係です。お互い切磋琢磨しないといいホタテはできません。いくらそれまでの付き合いがあったとしても、いいホタテがあがらなくなったら、その浜との付き合いはやめます。なれ合いの関係でいいホタテが出来るほど甘くはないのです。
例えば、当社の利益をあげるためにホタテを安く買ったりしたら、それは漁師に対する裏切りです。漁師が高値に甘えて、いいホタテを育てる事を疎かにしたら、それは当社とお客様への裏切りです。そういうことをやってはいけないのです。
当社には数多くのお客様がいらっしゃいます。漁師が採ってくれたホタテを喜んでくれる方が全国にこんなにもいるということを漁師にも伝えていかなくてなりません。それも当社の使命だと思っています。「あのお客様達を裏切れない」ということを漁師が感じたら、ホタテに対して生半可な気持ちにはなれないからです。
震災後、漁師の数が減ってしまいましたが、浜に魅力があって、いいホタテをとることができて、当社が高値で買い取る。そういったプラスの循環があり、高見を目指すような夢がある商売じゃないと後継者も育ちません。だから漁師も努力する必要がありますし、甘えてたらダメなんです。それはそっくりそのまま当社にも当てはまります。お互いがお互いを尊重し、信頼できる関係性を保つことが重要です。
全力でのチャレンジは失敗しても大きな力になる。
数多く売れば商売は成功ということではありません。手を広げすぎるとお客様との距離が遠くなります。自分達がお客さんを感じられるような目の届く範囲の中でやっていくっていうのが1番だと考えています。
今は時代が動いている変革の時期です。流れを読むのに大変な時代です。しかし歴史をひもとけば、時代は巡り巡ってきます。新しいことにチャレンジして失敗するかもしれません。その時、日の目は見えなかったとしても自分が本気でチャレンジしたことであれば、時代がマッチする時が絶対にきます。大事なポリシーは曲げないで、自分達がどういう戦略をもってやっていくかを考え行動することが大切です。
右も左もわからない状態でワカメ販売を始めて、失敗しながらホタテの販売に辿り着きました。ワカメで失敗しなかったらホタテに辿り着かなかったと思いますし、失敗がなかったら逆に遠回りしていたように思います。
不思議なもので全力でチャレンジして失敗したことは必ず力になります。いつかその失敗が役にたつことが必ず来ます。たくさんぶつかることが大事です。ちょこっとぶつかっただけだと意味がないですが、本気でチャレンジしぶつかれば本当に力になります。人は行動するために生きているのですから。
震災後は特にそういう気持ちが大事です。新しいこと、今までと違うことにアンテナはって、これって決めたらやるしか道はないんです。
時代は変わってもお客様が美味しい物を食べたいっていう欲求は変わらない。
これからの課題は泳ぐホタテをいかに時代にマッチさせるかということです。時代にあわせた戦略は大事ですが、他と同じような戦略だと失敗します。
他よりも違う方法を自分達の頭で考えての結果であれば、成功しても失敗しても、次の戦略の糧になります。
昔は他のマネをしても5年は保ちましたが、今は1年も保ちません。今までと違うことにチャレンジするには、資金をかけても時間かけてもいいから、入口だけじゃなくて、奥の奥までやることが必要です。それで失敗しても学ぶことは絶対にあります。
時代は変わってもお客様が美味しい物を食べたいっていう欲求は変わりません。
誤魔化す、裏切る、いい商品対して自分達が向き合ってきたことを壊すっていうのが1番やってはいけないことなんです。それをやったら終わります。
どんな状況でも、苦しい時でも目先の利益にこだわらず、「お客様にいいものを」って言う気持ちが変わらないことが大事です。そこの大事な中柱っていうか本質を大事に守っていかなければなりません。
心のこもってない100個よりも心をこめた1個が大切。結局それが1番の近道なんですよ。
10個20個売るってことよりも、ギフト1個でもお客様のことを考えて大切に送ることが大切です。それの積み重ねしかないからです。
泳ぐホタテが一人歩きして、お客様に愛されてくれるような商品やサービスにしないといけません。その商品ひとつひとつが広告塔としての価値がないと意味がないのです。それにはいい商品ということが絶対条件なんです。
心のこもってない100個よりも心をこめた1個が大事。地道にコツコツやるしか近道はありません。一見遠回りのようですが、結局それが1番の近道なんですよ。
息子達には「繁忙期じゃないときでも、1個を丁寧に売りなさい」と伝えています。泳ぐホタテを知らない方は、世の中にヤマのようにいるわけです。その1個を大切にしないと知らない人に届きようもないですから。
本当の帆立の美味しさを知って欲しい。
泳ぐホタテの鮮度は氷敷きの「鮮ホタテ」と全く異なります。お刺身で食べると明らかに違います。スーパーに並んでいるホタテしか食べたことのない方は、味の違いにまず驚かれます。浜から採れたばかりのホタテも美味しいですが、当社は専用のイケスでホタテを泳がせてから出荷しています。ホタテの内部の汚れや雑味が取り除かれ、浜から揚がって2日程度のホタテは、採れたてのホタテよりも美味しくなるんです。
お客様が当社にお越しになって、イケスのホタテを試食してもらうのですが、「こんなに美味しいホタテは食べたことがない」と皆さんおっしゃります。
「こんなに美味しいホタテが食卓に届くんですよ、ぜひこんなに美味しいホタテがあることを知っておいてください」と伝えると何度も注文してくれます。ありがたいことです。
今までのお客様にはこれまで通り、美味しい帆立をいつでも食べていただいていけるように、裏切らない商売をしていく使命があります。そしてこんなに美味しい帆立があるんだってことを知らない方には、もっと知って欲しいです。
三陸の海が香る帆立を食べてもらって、本当の帆立の美味しさを知って欲しいと思ってます。
社長が苦労して生み出した泳ぐホタテの詳しい内容・ご注文は「泳ぐホタテ 商品紹介」をご覧下さい。