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家族で漁師を営むということ

息子の勝幸さんは、現在43歳で漁師歴20年。小学生2人のお子様と奥様と一緒に、勝信さんご夫婦と親子3世帯で同居されています。最初から漁師を継いだのではなく、最初は地元のホテルで1年勤められたそうです。その頃のことをお聞きしました。

久保勝信さんご夫婦

――息子さんに漁師を継いでほしい、という気持ちは昔からあったのでしょうか?

勝信さん:
最初はそんな気はなかったね。稼ぐのはどこでもいいから、好きなところへ行って、誰かに迷惑さえかけなければいい。
まず、よそのご飯を食べてみたらいいと思っていたから。

幸子さん:
でも「仕事をやめるなら漁師になれよ」とは言っていてね。息子も「漁師はやらない」なんていうことはなくて、ホテルマンとしてサラリーマンを1年やって漁師になったの。

勝信さん:
スーツを着てネクタイしてっていうのに憧れるんだろうな。 ホテルだからお客さん相手に接客して言葉を覚えたのは良かった。自分が相手に喋るときに『言葉を大事にしてしゃべる』のが身に付く。その面はプラスになったんじゃないかな。

幸子さん:
そこは、最初から漁師をやらなくてよかったと思うよね。他人に使われてね。

――10年過ぎて一人前といわれる漁師ですが、
息子さんも、はじめは苦労されたのではないでしょうか。

幸子さん:
お父さんには絶対に歯向かわない子だからねぇ、絶対口答えしない子。
口答えするくらいじゃないとものにならないんじゃないか、と私は心配はしていたんだけど、大丈夫だったね。

勝信さん:
よく仕事から帰ると昼寝するのだけど、息子が隣で夢でうなされるの。
すごいんだってば、「うーん、うーーーーん・・・」って言って歯ぎしりというか(笑)

幸子さん:
「稼いでるのに何でおれ怒られるんだべ」って思っていたんじゃない?笑
段々仕事を覚えるようになったら、私には歯向かうようになったもんね。笑
仕事ができないうちは絶対に歯向かわなかったのに。

秀綱店長:
息子の勝幸さんは、夕方いつもここ(倉庫)へ来て、船に油を入れたり翌朝の準備をしていますね。ここへ来れば会えるので助かりますけども。

幸子さん:
段取りが大事だからね。
秀綱君が震災後に戻って家業を手伝うようになって、歳も近いから話し相手にもなるし、いろんな情報をもらえていいと思うよ。浜には若い人がいないから、いろんな情報がもらえないですもんね。その点、秀綱君は買い付けとかいろんなところに行って、ホタテとかの色々な情報を得てくるから。

秀綱店長:
勝幸さんのすぐ上は、養殖をしている方だとひとまわり離れたMさんですから少し年齢が離れていますもんね。釜石では40代でも若手です。

――後継者については、いかがでしょう?

勝信さん:
オレは、後継者が出てくれば、その人に対しては何でも教えたいタイプなんだ。次の世代がバンバンバンでてきてね、「俺はこうやっていきてぇ」っていうの俺は反対はしないんだけどなぁ。

幸子さん:
そうしないと浜に活気がないもんね。

勝信さん:
例えば、漁師の息子が始める時でも、自分の親父の仕事よりも上の仕事を見た方がいい。

漁師は、ある程度年数が経ってくれば、同じ仕事をするのでも力を使わないで仕事ができるようになってくんのさ。段取りもあるわけね。同じことをするのでも要領がよくなる。

ただ、漁師を何十年もやっていれば、誰もが要領がいいというわけではないから、はじめに要領のいい人を見て覚えた方がいい。
親父がカゴいっぱいとっても身が少ないタイプだとするとそういう教え方をするから、息子も同じようなタイプになってしまうのよね。

あと、最初から漁師をするなら、あわびでもウニでも自分が船で出た方がいい。 自分が船に乗って出ればほら、1個獲ったら次は2個獲りたいって欲が出てくるから。
段々「やっぱり親父に負けたくねぇ」って思うのよ。絶対負けたくねぇって。そうなればものも獲ってくるようになるもんだ。

漁師に嫁ぐこと

お二人の馴れ初めは、家がご近所で、勝信さんがさちこさんの家へ稲刈りやホタテの養殖の手伝いに来るようになり、ご縁がうまれたとのこと。
周囲からはお嬢様とよばれていたさちこさん。ご実家は漁師専業の家ではありませんでした。そんな環境から嫁がれた当時のお話をお聞きしました。

――幸子さんのご実家は漁師ではなかったそうですね。
漁師の妻になることに抵抗はなかったですか?

幸子さん:
漁師の嫁は大変だから行きたくないって言う人もいたね。昔は結構反対された人も多いみたい。やっぱり安定もしていなかったから。
ただ、うちは腕があったから働けば働くだけ収入があって。海の景気も一番良かった頃だったし。

一度、長女が中学校をあがったくらいの頃に、アワビ漁に連れて行ったことがあるの。
竿を入れるとこんなふうにシュシュシューッ!って上がるのを見て「すごいねー!」って言うの。昔10キロとかとれていた頃ね。
今は歳をとったから、シュシュシューッ!ていうわけにいかないけどね(笑)

最初、若い時は忙しくてどこにも行けなかったから、やだなーと思った時もあるね。
震災前にはゆっくり温泉に行く余裕もできたんだけど、子どもたちが小さい頃はそういうわけにいかなくて。子供たちは「うちは貧乏だったから、どこにも連れて行ってもらえなかったんだ」と思ってたんですって。それを聞いたのも最近のことでね。

幸子さん

――子育てについてはいかがでしたか?
お二人とも朝早くから漁に出かけるとなると、大変なことも多かったと思うのですが。

幸子さん:
そうね。私たちは朝暗いうちから家を出るでしょ、だから子供たちの着る洋服を順々に並べておくの。それで実家の母に朝ごはんを食べさせてもらってから学校に通わせてた。
あんまり手をかけすぎるより良かったのかも。おかげで兄弟仲がいい。勝幸が下の子の面倒をみたっていうからねぇ、着替えとか。

秀綱店長:
勝幸さん、優しいと思いますよ。やっぱり。

幸子さん:
当時は周りの環境もよかったんだろうね。ほとんど地元の人だから子供の顔をみるとだいたいどこの子供かわかるし、よその人が注意してくれたりというのも良かったんだね。

秀綱店長:
昔は怖いおじさんとか雷親父が近所にいましたからね(笑)
誰かが注意してくれるというような。
今はそうはいかないですけど。

今後の漁業のあり方

――ここ2~3年、釜石では水揚げが不安定な状態が続いていますが、今後、漁業というか海はどうなっていくと思われますか。

勝信さん:
今は若手といってもせいぜい2人くらいで30代と40代だ。
それにこのままモノがなくなっていけば、漁協としても存続できないんでないかな。
だから、育てるようにしていかねばならんのじゃないかなぁ。

例えば、3つくらいの浜をローテーションして、そのうち1つを禁漁区にして、残り2つを休ませてローテーションにするというような方法もあるかもしれない。
ここは3つの組合が合併しているから意見が分かれてやりにくいとは思うけど、それでも組合にすれば収入を守れるから、そういうのをやると言えば、俺は協力したい気持ちはあるんだよね。

勝信さん

民間業者が入るという話もあるようだけど、漁師の人は働けば働くほど収入があるのが漁師のいいところで。

これが会社経営式になると、安定した給料にはなるだろうけど、漁師の魅力はなくなるんじゃないかな。頑張れなくなる。
給料制になれば「俺一人くらい」と思って怠ける人もいる。そういうトラブルが出てくるから、難しいね。

あとさ、漁師は時間で働くものでないでしょ。 やっぱり家族間でやってるところが良いものを出してくるのは、そこだね。
手伝いがたくさん来ている人たちは、今日の仕事はこれだけと決まっていて、その中で早く終わらせたいものね。一方で、本人がやれば自分の収入として帰ってくる場合は、細かいところの気配りができる。

いいものを獲るっていうのは、そういう部分なんでねぇかな。

あとがき

脇目もふらず、漁師一筋の久保さんご一家。同じ平田地区ですので幼い頃から顔見知りではありましたが、こうして話をお聞きして、真面目で誠実な人柄と、ナンバーワンを追求する職人としてのクオリティの高さをあらためて実感しました。

質の追求と長年にわたる努力、細かいところまで丁寧に漁を営まれる姿も想像以上でした。
私共も、こうしてこだわりの詰まった海の幸をお届けできることを誇りに思います。

「人も、海も、育てていかねばならない、育てたい」と語る勝信さん。その目には、次の世代に残すという使命を強く感じました。

私たちも一緒に、これからの漁業に何ができるのかを考えていきたいと思います。

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